Story 01 気負いをしまい込み、
勇者の姿を心に刻め

Cool

今日の商談相手は、厄介だった。

「ミスター・ブラックホール」の異名を持つ彼は、いかなる商談の場でも、自分のペースを崩さず、 気がつくと相手のエネルギーを吸い取ってしまうかのように、思い通りの成果を上げる凄腕だ。

だが、今日は絶対に負けるわけにはいかない。

対策を練って至った結論は、毅然とした態度を保ちながら、しなやかに挑む戦略だ。

勝負は、相手と向き合う前から始まっている。

相手の実力が上ならば、とにかくテンションを上げて臨むしかない。

クローゼットから、ここ一番の一着を出した。

下着、ワイシャツ、ベルト、そしてスーツに靴も、ベストの一張羅だ。

身につけるだけで背筋が伸びる。

姿見に映る自分を見つめていると、自信が湧いてきた。

これならクールに闘えそうだ。

挨拶をして、相手と向き合い目が合った瞬間、呑み込まれかけたが、姿見に映った姿を思い出す。

「はじめまして。どうぞよろしく」

俺は静かに相手が商談を始めるのを待った。

こちらから攻めるつもりはない。

じっくりと相手の話を聞いて、斬り込むタイミングを待てばいいのだ。

ネゴシエーションの鍵は、懐の深さだ。

無理に焦って攻めずに、受けて立つ。防御のためではない。

相手を攻め込ませ隙を探すためだ。

不安があると、つい攻撃的になってしまうのだが、それは、相手の思うつぼだ。

リラックスしてチャンスを待つ。

そのための心強い 鎧 を身につけてきたんだ。

クールにいこうぜ。

Story 02 私しか知らない、
できる男の別の顔

Cozy

私のカレは、手品に凝っている。

本人は、「マジック!」とドヤ顔をするが、「下手な手品」にしか見えない。

そんなカレだが、職場では、「デキる男」として一目置かれている。

不器用なくせに審美眼は鋭くて、身につけているものもセンスが光る。

でも、私と会うと、「不器用な手品師」が出現する。

今日は、珍しく「オシャレをしてきて」と言われたので、一張羅の黒のワンピースで決めてきた。

「いよいよあの日!」と胸躍らせて三つ星フレンチに入った。

奥まった落ち着いた席で、カレは既に待っていた。

いつもはグレーや紺を好んで着るのに、今日はベージュのスーツ!

職場の精悍(せいかん)なイメージが消え 、彼の悪戯っぽい微笑みにマッチしている。

「あっ、これ落としたよ」

席に着くなり、カレが掌を広げると、キャンディが一つ。

これも定番で、毎回、不思議な味のキャンディを探してくるのだが、今日は、私は無視した。

だって、運命の日に欲しいのは「不思議な味のキャンディ」じゃない。

まずは、ルイ・ロデレールのコレクション 244で乾杯。

喉が渇いていたせいで、格別の味だった。

「あっ、忘れてた」

カレがポケットチーフを手際よく抜くと、真っ赤な薔薇が現れた。

「うわっ! 今日は上手ね」

「大事な時は、決めるんだ」

もしかして、薔薇の花の中に、大切なものが隠されているのかと覗き込む。

でも、目指す輝きは見つからない。

カレが薔薇の花を引くと、私の手にダイヤモンドリングが、残った。

「こんなアホだけど、これからもずっと、僕の世紀のマジックに、おつきあいいただけますか」

Story 03 変えては
いけないもの、
変えなくては
いけないもの

Classic

私の名は、ジョージ、ひとときの寛ぎをご提供するバーの主。

「イノベーションだの革新だの喧しいが、我が社が衰え知らずで躍進できているのは、創業百年の間に育んできた伝統があるからこそだぞ」

ロマンスグレイの男性が、常連のお客様に小言を言っている。

どうやら上司らしい。

部下である常連のお客様は、シングルモルトのストレートグラスを、傾けている。

「伝統を守るためには、挑戦と革新が必要ではないでしょうか」

「そんなことを言っているから、君の事業部は、成果を上げられないんだろう」

上司の方は、バーボン・ソーダを勢いよく飲み続けられている。

「挑戦を成功に導くためには、待つことが重要と教えてくださったのは、専務です」

「それは、ケースバイケースだ。イノベーションとか言うくせに、スーツは、ずっと流行遅れのダブルって、どういうことだ。

おまえ、どこかズレてるぞ。とにかく今は、時間が勝負なんだ」

専務の言葉に、矛盾を感じてしまう。

伝統を守れ、革新なんかにこだわるなと言いながら、伝統に培われた言葉を否定し、スーツまで流行を追えとおっしゃる。

理想と現実が混線して理不尽な結論を押しつけている。

「時間が勝負だからこそ、今は待っているんです。あと少しで、結果が出ます。どうか私を信じてください」

全く動じない部下の答えが気に入らないのか、残りの酒を飲み干すと専務は、立ち上がって店を出て行った。

一人残されたお客様と、目が合った。

「待てば海路の日和あり。その潮目は絶対に摑め― 。それが我が社の伝統だったんですが、今のご時世では、難しいんでしょうかね」

「私のような仕事をしていると、そのお言葉が身にしみます。それに、ダブルのスーツがお似合いです」

流行に流されないというお客様の姿勢に、スーツがマッチしているからだ。

「ありがとう。じゃあ、ウォッカマティーニを、ステアではなくシェイクで」

真山 仁小説家

1962年、大阪府生まれ。大学卒業後に新聞記者、フリーライターを経て、2004年に投資ファンドや企業買収の舞台裏を描いた『ハゲタカ』でデビュー。そのほかにも『当確師 正義の御旗』『ロッキード』など、社会問題をテーマにした著書を多数執筆。


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