第三回近著となる『シンドローム』に、麻布テーラーが登場
麻布テーラーとの出合いによって、作品の中のキャラクター設定は変わりましたか?
真山さん:「変わればいいな」とは思っていますが…でも急に洋服の描写が増えたかというと、そうではありません。服の色の描写に関しては、昔からありました。それは女性の登場人物に多いんですけど、その人の役割によってモノトーンであったり白であったり、あるいは派手な赤であだったり…と。性格そのものとして、わかりやすくなると考えています。キャラクター設定で大切なことは、いかに読者の記憶の中に楔が打てるかだと思っているので、それなりに分かりやすい何かは私の場合は服の色だということですね。特に私の本は、「できれば一気に読んでいただきたい」と願って書いているので、じっくりとその登場人物の描写を頭のてっぺんから書くのは馴染まないんですよ。『ハゲタカ』にも当然、馴染まないと思っています。今後は、じっくりと服の描写をすることがマッチする作品を書きたくなるかもしれません。そういう意味では、少しずつ変わるかなと…。基本的に私の小説は、お店はできるだけ実在のお店を登場させるようにしているんです。レストランとかもそうですし…。ですので、最近の作品『シンドローム』の中では、麻布テーラーを登場させていますよ。
麻布テーラーはどのような役割で登場しているのですか?
真山さん:この小説の中に、電力会社に就職したばかりの青年が登場します。彼の名は「郷浦(ごうのうら)」と言うのですが、彼が入社した翌年に震災が起きて、原発事故にたまたま遭遇するといったストーリーになっています。電力会社に対して、「傲慢」で「公務員より官僚的」なイメージを持っている方も少なくないでしょう。でも、何万人という社員がいるわけで、その中の若手は実際に夢と希望を抱いて入社しているわけです。その彼が入るなり、とんでもない事故に巻き込まれるのです。その後、当然バッシングに会い、守ってあげたいサッカー選手も守れない…という、人間としての成長を読者の方々とともに応援できたらという設定になっています。「その成長をどう表現しようか?」と考えていたときに、たまたま麻布テーラーに出合ったわけです。で、服をつくることで新たな発見があったという私の実体験もあったので…。あるとき、郷浦は東京に住んでいる叔父さんから、就職祝いということでスーツを作ってもらう…という設定にしています。それまでの郷浦の頭の中にある就職というものが、「なんとなく社会人になった」という印象しか抱けていませんでした。でも、叔父に麻布テーラーでスーツを仕立ててもらったときから、少しずつ変わっていくんです。叔父は、「お前にとって、大事なときに着なきゃいけないものになる」と言って、オーダースーツをプレゼントしてくれる。服に着られていた若者が、ちゃんとその服にふさわしい人物へと成長していく様を描きました。そのスーツが、後半のキーにもなるんですが…。
そのスーツはどんな役割ですか? 許せる範囲で教えてください。
真山さん:郷浦はのちに、とんでもなくひどい目にあうわけですが、最後の最後、彼に大切な日が訪れ、そして麻布テーラーのスーツに袖を通すわけです。そのときの彼の気持ち…。叔父からオーダースーツが贈られたときの言葉どおり、「大事なとき」が訪れるわけです。そして、袖を通そうとしたとき、彼はそのオーダースーツを着る資格が自分に備わっているのか、自問自答しているかのように郷浦が鏡の前に立ちます。そして、映った自分に照れくささを感じながらも、次にその気持ちが「決意」へと変容していく…ような登場の仕方です。ようやくそのとき、叔父さんの言った言葉の意味がわかるわけです。「なぜ大事な日に、きちんとした服を着なければならないのか?」ということも表現したかったのです。この作品は雑誌『週刊ダイヤモンド』の連載だったんです。そして、その内容が掲載された号の発売日後には、読者の皆さんが麻布テーラーの良さにも気づいてくれたうようで、少々賑わったようです。そういう意味では、小説って新聞や雑誌とは違う特殊な反響が生まれますね。
実際のお店を小説に登場させるのは、なぜですか?
真山さん:私が実際の店を小説に出すのは、前にも言ったとおり「できるだけ身近さ、読者との皆さんとの間にある文字という敷居をできるだけ取り去る」ことができればという願いからそうしていうます。身近なことが大事だと思っています。だから和歌山とか神戸とか、地方でも実際にあるお店を登場させるようにしています。ある意味、そこのサプライズもあるといいなぁと思っているんです。読者の皆さんが、自分の知ってる店が登場すると、さらにその物語が身近に感じていただけるのではって考えています。それが私にとって大事なことなんです。麻布テーラーさんのように、そこから広がる縁もありますので。
読者の皆さんにも、服の着こなしはきちんとしたほうがいい思いますか?
真山さん:思いますよ。私の場合は、以前は新聞記者だったので、ちょっとひねくれた考えを持っていましたが、一般の社会人、特に営業職の方とは第一印象で勝負するところがありますよね。私とは逆の意味で(笑)、出で立ちをツールとして活用すべきだと思います。自分がお客側の立場で考えてみてください、対峙する営業マンの服がボタン1つ取れていたり、縫い目が解(ほつ)れている服を着ていたら、「きっとこの人、仕事も緩いんだろうなぁ」って思いますよね? いまやSNS時代でもあります。自分の格好が写真として記録に残る時代です。周りの人の目を気にしなきゃいけない社会になったと思うんですよ。高度経済成長時代は違っていました。同じ格好してることがよかった、目立たないことがよかった…。白いシャツで、そこにストライプが入ってるだけで「おまえ、調子乗ってないか?」とか、「ダブルのスーツなんか、お前には10年早い!脱いでこい!!」とかあたり前でした。もう、そういう時代はとっくに終わっていますから…。自分に相応しい服を選んで、きちんと着ている人はやっぱりカッコいいですよ。それは男性ばかりでなく女性もそうです。「カッコいい」って思われることが、すごく大事な時代だと思います。「服装でどう見せるか? 他の人がどう見てくれてるか?」ってことを気にしないことは、ある種、業務の怠慢に近いものだと思います。
そんな中、真山さんなりのカッコよくなるには何が大切だと思いますか?
真山さん:30前半くらいまでは、その辺に吊るしてるのを着ても身長のサイズが合えば大体普通に着こなしてきたと思うのですが、問題は30後半ですね。そのころになると、体型も崩れてきますから。お腹削れませんからね。基本的に。ビール飲んでるのに、何を削るんだって話じゃないですか。ラーメン食っちゃったらダメでしょう、みたいな。そうするとやっぱり助けが必要になります。もちろんビール飲むのもラーメン食べるのもいろいろな理由があるわけで、それを我慢して、さらにストレス太りするよりはそれはそれでいたしかたないものだとしても、その分、どう上手に自分を見せるかを考えなくてはいけないと思います。その一つの対策が、常に自分のサイズを認識して、ジャストサイズの服を着るということだと思っています。冒頭では反抗的な意味も含ませて(笑)、「我々のような新聞記者に関しては、服装は適当でいいんです」って言いましたけど、でも今では、服装をきちんとジャストサイズの服を着ることの大事さも理解できています。それは麻布テーラーとの出合いによるものが大きいのですが…。そして忙しいときこそ、ちゃんと外出する前に鏡を見て、人が自分をどう見るか?をきちんと確認したほうがいいと思っています。いままで、私、鏡なんて見たことなんてなかったんですよ。髪の毛とか、寝癖がついていてもお構いなし。みんなに「髪の毛立っていますよ」って言われて、「あっ」って言いながら直すようなタイプの人間でしたが、それがこの2年くらいは、遅まきながら鏡を見てから外出するようにしています。つまり、余裕がまったくない状態で飛び出すと、その日は周りの人にもそう映って見えると思えたからです。身だしなみっていうのは見た目のことなのですが、精神的余裕の確認作業でもあると思っています。それは「カッコつけろ」という意味ではなく、「ちゃんと地に足をつけて、深呼吸をできるだけの余裕で臨んでいるか?」の証のひとつではないでしょうか。それを外出前に確認することの大切さを、私もようやく気づいた次第です(笑)。
最後に、真山さんが麻布テーラーから学んだことを端的に教えてください。
真山さん:いままでいろいろ説明させていただきましたが、要は「服は着なきゃダメ」だということを教えてもらいましたね。服を着れば、それを人の目にさらさないと着ている意味がない。服はただ、体を覆うだけの役割ではないということを、麻布テーラーとの出合いによって学ばせていただきます。思いを込めてオーダーした服なのですから、それにふさわしい役柄を与えるべきだと言いますか…。必ず大事だと思う場にその服を着ていって、主役である人を支える名脇役となってもらうよう、日々着こなすことを重ねて、その関係性というか絆を深めていくことが大切だと思うようになりました。主役である着こなす側も、脇役である服に馴染まなきゃいけないんだとがんばる。「こいつと一緒に、自分がどう振る舞えばいいのか?」って考え、そして試していくことがすごく大事だと思うんです。「営業マンは格好よりも、口がうまければいいんじゃないですか?」って、昔は言っていたかもしれません。でも、今は違います。身だしなみがいい営業マンと見苦しい営業マンが並んでいたら、どちらの話が信用できるかって考えれば、それは前者になりますよね。
エピローグ
真山さん:こんなに服に興味がなく、いわば服を着こなすことが嫌いな部類の人間が、ここまで気持ちが動いたというのはすごいことだと思いますよ。2、3年前だったら絶対に考えられなかった…。「着ろって言うから、しゃーない、着るか」くらいの男でしたから…。でも、このタイミングで麻布テーラーと出合って、ほんとうに良かったと思っています。
おわり
真山 仁さん小説家
1962年大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。新聞記者、フリーライターを経て、2004年『ハゲタカ』でデビュー。同シリーズはNHK、テレビ朝日とでドラマ化され、大きな話題を呼びました。その他、『マグマ』『ベイジン』『プライド』『コラプティオ』『黙示』『グリード』『そして、星の輝く夜がくる』『売国』など、著書多数。近著に『当確師』『海は見えるか』『バラ色の未来』『標的』『オペレーションZ』、そして2018年8月発売の『シンドローム』(上下巻)が新たに加わりました。
真山仁著『シンドローム 上・下』(講談社)、現在好評発売中です。 麻布テーラーは、上下巻ともに登場しています。 さて、どのページに登場するかは、読んでからのお楽しみということで。 >>> http://www.mayamajin.jp/books/syndrome_t.html