第3回 ついにデビュー!
―イラストレーター綿谷寛のあれこれと麻布テーラーとの出会い―
いよいよ、イラストレーター綿谷寛の誕生ですね。最初からメンズクラブ狙いだったんですか?
綿谷さん:もちろん、『メンズクラブ』で仕事はしたかったんですが、初の仕事は『ポパイ』なんですよ。入学してまもなく創刊(1976年)されて、フレッシュでしたね。誌面を見ると新人がたくさん使われていましてね。こりゃ、チャンスありそうだなと…。『メンズクラブ』は目標ではあったのですが、「目標だからまだ早いかな?」という気持ちもありました。それで21歳のとき……2年でセツの普通科を卒業したあと、もう1年研究科に籍を置いていて……在学中ではあったのですが、『ポパイ』に売り込みに行きました。そうしたら、すぐに使ってみようってことになったんです。
それは幸先いいですね。どんな企画だったんですか?
綿谷さん:「スキーボーイ」というスキーの特集で、ファッションではなかったのですが、ページの隅にカラーでスキーにまつわる10カットくらいを描きました。そりゃ、有頂天でしたよ(笑)。それ以降も『ポパイ』には、ちょくちょく使っていただきました。で、その勢いですぐに『メンズクラブ』に売り込みに行ったんです。
思いのほか、早かったんですね。待望の、じゃないですか!
綿谷さん:ところが、それが完全にダメだったんですよ。
なんと! 理由はあったんですか?
綿谷さん:あとで聞いた話だと、編集長の交代時期と編集部の引越しが重なっていたみたいで…。ちゃんと見てもらえなかったわけですね(笑)。その日は出直しということで、かなりしょんぼりしちゃいました。まっすぐ帰るのが嫌だったので、穂積先生のスタジオに寄ったんですよ。
気を紛らわそうと?
綿谷さん:そうそう、報告がてらね。で、「ダメでした」なんて言ったら、「なんだ、『メンズクラブ』なら、俺が紹介してやるよ」って。「その手があったか!」とそのとき気づいたりして…(笑)。当時は、そんなことお首にも考えてなかったんですが。結局その後、『メンズクラブ』は穂積さんに紹介していただきました。
無事、採用ということに?
綿谷さん:はい。ここでも最初はファッションじゃなかったんですよ。中面の1色ページ。お試しですよね(笑)。それでもうれしかったですよ。何と言っても、当時のイラストレーターは、レベルが高かった。穂積さんはもちろん、小林泰彦さんやトケさん(斎藤 融さん)など、錚々たるメンバーですから。皆さん、ずっと巻頭を担当されていましたよね。彼らは原稿も書くんですよ。それにスタイリングも提案していた。イラスト・原稿・スタイリングと…。この3つができないと、『メンズクラブ』では活躍できないんですよね。その分、憧れも強かったんです。
そこから、レギュラーへの道のりは厳しく?
綿谷さん:明確に「この時!」というのはなくて…。ただDCブームの時代がターニングポイントだったかもしれませんね。それまで描いていた僕のアメリカンなファッション画が、DCには似合わないなと思い始めて…。DCブランドって日本発じゃないですか。だから日本人の顔で、デフォルメした感じを始めたんですよ。そのあたりから、こういうのもアリかなって描き始めた。あの時代は、いろいろ試行錯誤させてもらえたのも、よかったかもしれませんね。
さて、麻布テーラーとの出会いですが。
綿谷さん:麻布テーラーさんと一緒に仕事をさせていただいて、もう10年ほど経ちますね。これは『メンズクラブ』の紹介だったんです。当時編集長だった小暮昌弘さんの紹介です。アトリエに社長と統括PRの川勝由美さんがいらっしゃって…。「うちのスーツをトップモデルに着せても、ラグジュアリーブランドのビジュアルにはかなうまい。イラストで続ければ、ほかにもないから目に止まる。長く続けばアイコンになる」と、熱い思いを伝えてくださって。
受けてみていかがでしたか?
綿谷さん:社長は無理難題が多くて…(笑)。「ジェームズ・ボンドのイメージで、大英博物館の中庭にヘリから降りてくるんだよ。下ではアストンマーチンと美女が待っている…」みたいな、壮大は話とかね。そこで僕は、その雰囲気だけ感じ取って絵に起こしていくわけですね(笑)。フォローするわけじゃないですが、清水社長は僕が仕上げたものには文句言わないんです。よく冗談で社長に言うんですが、モデル使ってロケやって撮影したらいくらかかるかわからない。イラストなら安上がりって(笑)。最初にオファーにいらしたとき、「この広告が評判になったら、京都のお茶屋行こう」って言ってくれたんですが、全然連れてってくれない(笑)。社長に、「そろそろお願いしますよ!」って伝えておいてくださいね(笑)。あ、でも、あまり評判よくないってことかもしれないんで、言わなくていいです(苦笑)。
麻布テーラーのスーツは作っているんですか?
綿谷さん:10年の間で3着かな。少ないか(笑)。それでも1着は、未だに現役ですよ。スーツを10年着るって案外ないですから…。それこそ20年くらい前かな、『メンズクラブ』の企画でサヴィルロウでスーツを作りましたけど、今じゃ滅多に着ることはありません。パンツが太くて舞台衣装みたいだから(笑)。その点、麻布さんのスーツは10年着続けてる。なかなかないですよ。ネイビーのダブルブレステドでチョークストライプです。普通なんですど、今でもいい感じに似合うから、ついつい選んじゃいますよね。そろそろ、向こう10年着られるスーツを、もう一着くらい作ってくれてもいいよね…これだけ宣伝したんだし(笑)。あ、お茶屋さんのほうがいいです(笑)。
おわり
綿谷 寛 さん イラストレーター
1957年、東京生まれ。愛称は“画伯”。米国イラスト界の黄金期といわれる1950年代のコマーシャルアートの継承を目指す、日本を代表するファッションイラストレーターのひとり。2007年より本ブランドのイメージビジュアルを担当し、シーズンごとに我々が抱く理想の世界観を毎回十二分に表現し続けてくれる匠。その裏には、洋服への深い愛が存在する。気になったアイテムは、それが誕生した背景=歴史を踏まえながら自ら着こなす。そして、そこで経験した成功と失敗を真摯に受け止め、その蓄積から自らのセンスを磨き上げ続けているからこそ成しえる技。また、“画伯”の名でお目見えするスタッフの似顔絵も大好評。服だけでなく、人に対しての愛情にも余念がない(笑)。