メンズファッションイラストレーター 綿谷 寛ができるまで。

第2回 ―進路決定はまさかの消去法!? そして師匠、穂積和夫さんとの出会い―

さて、高校時代です。やはり美術系を視野に入れた進路に?

綿谷さん:漠然と絵を描きたいと思っていたのですが、まだはっきりとコレ、って決めてなくて…。ただ、「イラストに関する仕事に就くにはどうしたらいいか?」と調べ始めていた矢先。当時は美術系の受験資格の欄に、色盲・色弱不可ってあったわけです。実はボクも赤緑色弱なので、かなりショック受けましてね。その後調べたら、美大だけじゃなくて広告代理店なんかもダメで…。今は違うと思いますけどね。病院に行ったら治るかと思ったのですが、遺伝だからって…。お先真っ暗でしたよ。

それはショックですね。どうなされたんですか?

綿谷さん:当時、イラストをメンズクラブに描かれていた、大好きな穂積和夫さんが講師をしている学校がありまして…セツ・モードセミナーです。日本におけるスタイル画家の草分け、長沢 節さんの私塾みたいな小さな学校です(2017年閉校)。ボクが調べた中で唯一、ここは試験がなかったのです。もう、「ここしかない!」って、そう思ったら、パーっと視界が拓けましてね。どうせセツに入るから、高校はどうでもいいやって(笑)。ただ一応、就職する場合をちょっと考えて都立の商業高校に。女子がいっぱいだったし(笑)。とにかく気分が楽になって、高校時代は楽しく過ごしました。

なんと、消去法だったんですか! セツ・モードセミナーは。

綿谷さん:色弱がデザイン系では難しいと判明したことで、ぼんやりと美術系、デザイン系と思っていたものが、自分のなかでイラスト一本に絞られた。美大も就職もないなら、「フリーのイラストレーター一本だな」って。逆に迷いはなくなりましたね。日本広しといえども、自分ほど男の絵を描くのが好きなヤツはほかにいるわけがないと思っていたので「なれねぇわけないだろ」って(笑)。実際入学したら、ボクみたいにメンズファッションのイラスト好きってヤツが周りに全然いなかったんですよ。

当時なら、穂積さんや小林泰彦さんに憧れた綿谷少年のような人、いっぱいいそうですけどね。

綿谷さん:それがいなくてね…。入学当時の1970年後半、バブル前くらいまではスーパーリアルとかヘタウマがブーム。つまり、空山 基(そらやまはじめ)さんや横山 明さんみたいにエアブラシで実物のように描く画風か、湯村輝彦さんや河村要助さん、安西水丸さんみたいな素人風の面白い画風。どっちかだったんですよ。

ライバルもいなかったと。

綿谷さん:そうそう。我が道をゆく、です(笑)。学校でもヘンなヤツ扱いですよ。今でもそうかもしれませんが(笑)。40年近くフリーで描いていますけど、本格派のメンズファッションを描きたいって人、見たことないですよ。人物を描くって難しいんだよ。

どんな学生生活を送っていたんですか?

綿谷さん:案外ね、ここでは真面目に課題に取り組んでいましたよ。ついに到来した、絵を学ぶチャンスなわけでしたから。ひたすらデッサンの日々でしたね。長沢先生は、アート志向の生徒もボクみたいな変わり種も、熱心に絵と向き合う生徒は寛容に受け入れてくれましてね。ボクの恩師です。

憧れの穂積さんも講師をされていたんですよね?

綿谷さん:そうですね。何度か穂積さんの授業がありまして…。あるとき、緊張しながら穂積さんに自分の絵を見せにいったんですよ。先ほどのとおりの状況ですから、珍しがられたってのもあって、すごく褒めてくださった。「今度うちに遊びに来い」なんて言われてね。それ以来、穂積さんのスタジオにちょくちょく足を運ぶようになって懇意にさせてもらいました。

師匠とよく穂積さんのことをおっしゃってますが、どんな指導を?

綿谷さん:実は、「ああしろこうしろ」っていう指導はなくて。お前みたいなタイプは、ほっといたほうがいいだろうって(笑)。スタジオに行っても相談か雑談ばかりしていましたね。

なんか時代を感じます。

綿谷さん:それでも、穂積さんの存在に大きく感謝しているエピソードがあるんです。学校に通ったとき、先輩から博報堂の嘱託社員になってみないかって話があったんです。「イラストレーターなんて食えないぞ」って。色弱が気になったのですが、それも問題ないよって。そうなると少し気持ちも傾いていて。周りもめったにないチャンスだって煽るんですよね。そこでこれは、「穂積さんに相談だ」ということで話したんです。そしたら、「そんなの行くなよ」ってひと言。

それはまたなぜ?

綿谷さん:「今は、バイトしながらでも絵を描いているだろ。そんなところ入ったら、絵を描かなくなってしまう。お給料もそれなりに入ってくると、それに満足しちゃうんだよ。周りはそりゃ、イラストレーターなんて食えないとか、適当なこと言うに決まっているよ…」って。うちは家業が左官屋さんで、バイトで手伝いながら学校に通っていたんですよ。それも「無心になれるからいいだろ。邪念が働かないからいいんだよ」って。説得力が違いますよね。これは「穂積さんを信じよう!」って。信じてよかったですよ…。

つづく


綿谷 寛 さん イラストレーター

1957年、東京生まれ。愛称は“画伯”。米国イラスト界の黄金期といわれる1950年代のコマーシャルアートの継承を目指す、日本を代表するファッションイラストレーターのひとり。2007年より本ブランドのイメージビジュアルを担当し、シーズンごとに我々が抱く理想の世界観を毎回十二分に表現し続けてくれる匠。その裏には、洋服への深い愛が存在する。気になったアイテムは、それが誕生した背景=歴史を踏まえながら自ら着こなす。そして、そこで経験した成功と失敗を真摯に受け止め、その蓄積から自らのセンスを磨き上げ続けているからこそ成しえる技。また、“画伯”の名でお目見えするスタッフの似顔絵も大好評。服だけでなく、人に対しての愛情にも余念がない(笑)。